布団に入り
眠ったはずの父が
突然に苦しみ出したのが
0:10
あまりの苦しみ方に
すぐに救急車を呼んだが
到着する頃には
自分で歩いて乗り込む位には回復。
先日手術をした病院へ搬送してもらっているから
また連絡する、とのこと。
動揺で頭がうまく回らないながらも
いつでも出発できるように
服に着替え
子供たちの明朝の準備と置手紙を残し
玄関先で連絡を待ちました。
1時間待っても電話が来ないので
母の携帯へ連絡をすると
すぐに弟に代わり
現在は集中治療室
まだ詳しい病名は分からないが
おそらく弱っていた腎臓の影響による
状態だろうとのこと
今来ても中に入れないし
とりあえず深刻な状況になる心配はない、
実家のみんなも一旦帰宅すると言うので
病院行きは明日に。
ほとんど眠れないまま
朝を迎える。
子供たちを学校へ送り出し
実家で母を拾って病院へ向かう。
(この週は仕事が暇だったおかげで
義母たちにあまり迷惑をかけることなく
家を空けられたことが何よりありがたかったです。。)
この車内で
母が投げかけた言葉に凍りつく。
「夕べ お父さんはどうやって病院へ行ったの?」
お母さんは
お父さんが苦しみ出して救急車で病院へ向かった
すべての場所に立ち会っていた筈なのに
なんにも覚えていなかったのです。
それどころか
私が駅まで迎えに行って
一緒に車で実家へ帰ったことも
茶の間でお父さんにご飯を食べさせたことも
全部忘れてしまっていました。
この状態で
母までおかしくなったら・・・
と
一瞬目の前が真っ暗になったのですが
母のお母さんが亡くなった時も
やはり記憶が吹き飛んだんだそうで
「あの時お父さんに ほうれん草食べさせたじゃない」
「こんな会話したよね?」
と記憶の糸口を見つけてあげると
少しずつ思い出したので
心底ほっとしました。
集中治療室に
緊張して入ってゆくと
呼吸器や点滴などの管をたくさんつけた父が
私たちの方を見ながら笑って手を振っていました。
父の病名は
『慢性腎不全』
と
腎不全の影響による
『うっ血性心不全』
『急性肺炎』
ひとつでも命に関わる様な
大変な名前が3つもつけられていました。
もともと悪かった腎臓が
大動脈瘤の手術の際
大量に使った造影剤で悪化し
血液の浄化が出来ない状態だったことが
原因だったようです。
昨夜
集中治療室で
人工透析をしてもらうと
みるみる体が楽になったそうで
私たちが来た頃には
酸素マスクしたままの姿で
冗談も言えるほど良くなっていました。
その日の午後には
4人部屋へ移動になり
現在もまだ入院中ながら
家から10分のかかりつけの病院へ転院をして
透析用の人工血管の手術も済ませました。
今では
パソコンも病室に持ち込んで
何やら作業を始めたりして
心配していた記憶障害の方も
少しずつ回復し
いつもの父の姿に戻りつつあります。
やはりあれは病気の症状のひとつだったんだと
確信しているところです。
でも
たとえ認知症だったとしても
お父さんが
私のお父さんであることは
何も変わらない
ずっとそばにいることも
変わらないのだけど。ね。
そういえば
今回の騒動で
私の人生の目標がひとつ増えました。
私は
お父さんとお母さんを
ちゃんと看取る。
その為に
まだまだ元気で生きてゆきます!!